密室、あるいは、鍵のかかった部屋

桃屋の『食べるラー油』下さい。

あーこれまだまだ希少品ですからねえ。

「僕」はこうして足元を見られ、売り手の言いなりとなり、『江戸むらさき』特級も『ごはんですよ』もついでに『花らっきよう』まで抱き合わせで買うはめになってしまって。

というところで目が覚めた。

ああ、そうだった。貴志祐介最新作は本格ミステリー、ということで、読み終わって枕元に放り出して寝たのだった。

表題作『鍵のかかった部屋』は確かに読ませる唸らせる。ポールオースターの高名なNY3部作最終作と同じタイトル、ググってはじめて知ったことだが、これは偶然の一致ではないだろう。確信犯的になんらかの効果を狙ってそうされたのだろうが、オマージュでもなさそうだし、ストーリー間に強い関係があることは、少なくとも表面上は感じられない。
いや、ポールオースター作を読んだわけではない。便利な時代になったもので、あらすじから読解のツボまでネットで探すことができる。

書評家の「僕」。失踪した幼馴染で親友だったファンショー。ファンショーの書いた小説を出版すべきか破棄するか、ファンショーの妻から判断をゆだねられる。出版してみるとベストセラーとなり、書評家としても成功してファンショーの妻と結婚する。その後、ファンショーから手紙がきて、結婚を祝福し、出版を感謝するという。「僕」はファンショーの伝記を書くという契約にサインした。素人探偵のようにファンショーの姿を探すうちに、アイデンティティが崩れ、泥沼にはまってゆく。

「僕」とファンショーの青春の記憶が「鍵のかかった部屋」で、それは蓋を開けると損なわれる宝物。かたや、物理的なる「密室」。とりあえず、謎解きして楽しめやと。トリックは面白かったが、即物的な密室をを心理的な「鍵のかかった部屋」と対比させるのは、読者の表面的な興味をそそる以上のいかなる効果があるのかなあと。

前衛的すぎるドタバタ劇や、妙にローテクな装置が活躍する仕掛けとか、密室をご都合主義的に作って強引に謎解きするかのようで、オモロサも中ぐらいなり、そう感じるのは私だけではないでしょう。

密室って、作家さんの挑戦意欲をそそるのでしょうか。エキセントリックな針が振り切れてしまったような強張ったような雰囲気は、貴志祐介さんらしい味付けですね。そう言ってしまってから、そりゃ毎度の誤読と、失笑まで買って帰って、江戸むらさき特級とともにやけ喰いする、そういう我が姿が目に浮かぶのでありますが。