ブラックジョークとして楽しむ、日本では

例えば日本では、大人が楽しむためのブラックジョークな本です、と。そのように紹介しておかないと、真に受けたモンペの皆様にそれはそれはひどい訴訟を起こされてしまうのではないか。そんな余計な心配までしてしまう。

子どもが体験するべき50の危険なこと」では、雄大な北米大陸の国立公園などで元気いっぱいに育れられ大人となった著者が、親に感謝しつつ、今度は自分の子供もそういう生命力にあふれる人間に育てようと、その具体策を考え、スクールを創設した。そのノウハウをまとめたのが本書。

あくまで、親は「大人」、という前提である。

しかしながら、若手社員が上司の飲み物に一服盛って刑事事件に発展いたしました、MRが合コンで商品の薬を女性に盛る常習犯だったということをTwitterで同僚に暴露されて司直の手が入りました、なんてニュースが日常的に報道されるような東洋の不思議ちゃんなわが国にあって、その「大人」の前提に大きなクエスチョンマークを付けたいのは、あなただけではない。

本書は、そのまんま邦訳して、よかったんだろうか。

邦訳版20番「ノコギリを使おう」は原書では「鉄道の線路で1セント玉をつぶそう」だったそうだ。その他の項目は審査の末に問題無しとされたということ。

子供がちょっと背伸びして読みたくなるような雰囲気。子供が夏休みの日記のように記入する欄が付いている。この本を大人が、あんまり吟味せずに子供に丸投げして、あとはやっとき、なんていうのが絶対に起こらない、なんていうのも随分と能天気な話である。あちらは日本とは比較にならないぐらいの訴訟社会。そのスクールも、危険を回避するために厳重なコントロール下で授業は進められるのだろうし、事前に免責契約など親御さんにサインしてもらっておくのだろう。

この本は、大人が読む本です。エッチじゃないけどR指定です。内容を参考にするかどうかは、親が決める。自己責任で。

  1. 07:子供が車を運転してはいけません。
    ※日本には人がいない広大で平らな土地を持ってる人はあまりいません。
  2. 09:ポリ袋爆弾を作ってはいけません。
  3. 14:電子レンジに変なものを入れてみてはいけません。
  4. 15:走っている車から物を投げてはいけません。
  5. 36:友達に毒を食べさせてはいけません。
    ※塩辛いクッキーは毒と呼びません、日本では。
  6. 40:ミツバチの巣をみつけるのは今の時期はやめときましょう。
    ※それは多分スズメバチ。素人さんの手に負えない事態となります。
  7. 45:火遊びをしてはいけません。
    ※火を使う実験は大人の人と。大人の火遊びは大人になってから。

他にも、高いところから落ちてみてはいけません、なんてのもあるのだけど、受身とか五点着地法とか、そういう訓練としてなら、然るべき制限つきでアリなんだろう。

ま、こんなことでマジになってカリカリ怒ってたら、身体が持ちません、ユーモアを楽しむ心の余裕が欲しいところ。晴れの日はアウトドアで野性を取り戻す。そして雨の日は情操を養う。ということで、さあ、今日は平塚市図書館に行きましょう。

リーダーシップ論としてのジョブス伝説

アップルのスティーブ・ジョブスが電撃引退とのニュースが記憶に新しいが、これでまたジョブス伝説の出版ラッシュに拍車がかかる。偶然にもこの最高のタイミングで出版された「ジョブズ・ウェイ」は、スティーブジョブスが自らリクルートして幹部に据えたジェイ・エリオット氏によるもの。まさにインサイドストーリーである。

本作にも「成功は細部に宿る」という章があるが、大成功して勝ち逃げの形となることで、誰も貶めることができず、落日も迎えようの無いサクセスストーリーはベンチマークの課題として最高の事例である。細部が明かされれば明かされるだけ情報の価値が加わる。アマゾンの書評でも絶賛、という様相である。

ただ、私個人として気になったのが、著者がジョブスの腹心であったのが1985年まで、ということ。本書はジョブスのリーダーシップに着目して書かれているのだが、ジョブスが駆使したと主張されているiLeadershipは、1985年以降については仄聞の類だろう。iPhoneやiPadの時代となってもジョブスのリーダーシップは不変で一貫したものだったのだろうか。

さて、日本でリーダーシップと言った場合、セミナー会社が中間管理職養成コースと称して好む課題であり、部下のモチベーションを維持し、最高の生産性を確保するためにいい上司を演出する方法だと言ってほぼ間違いないだろう。世界をリードする企業のイノベーションを引っ張るトップのリーダーシップとはおよそ似ても似つかぬ話題だ。

洩れ聞こえてくるところでは、ジョブスの下で仕事をするのはきつい、とされる。本書ではずいぶん美化されているというか、そういう面は瑣末なことと無視されているというか、あまり書かれていないのは、著者が技術屋でなく、トップに近いマネジメントであったゆえだろうか。開発現場の技術者は苦労していると聞く。技術者への要求水準は極めて高く、専門のストライクゾーンど真ん中で自尊心を粉砕されるとか。ジョブスは感情的な爆発も抑えようとしているようには見えなかったみたいだ。

それが駄目だと言っているわけではない。イノベーションの達成には妥協は許されない。なにしろ、細部に成功の本質が宿るのだから。中間管理職的リーダーシップなんて、誰もジョブスに期待して無い。

IT系企業経営者としてパーフェクト、これはそのとおり。

この本はどういう人にベストマッチとなるだろう。まず、まだあまりジョブス伝記を読んでないんだよね、そういう方にはわくわくしながら当時の背景を知ることができるでしょう。なにしろ、自分がジョブスにリクルートされた状況まで詳らかにしているのだから。ジョブス物語は飽きるほど読みました、そういう玄人の諸兄には、わざわざ買って読むほどの本かは、ちょっとわかりません。が、そうです。平塚市図書館には所蔵されていて、今のところ予約待ちもあまりないようですので、平塚市図書館でまず借りて読まれるのはいかがでしょうか。図書館の理想的といえる使い方の一つでしょうね。

進化という視点で人間社会を斬ると

友達の数と訊いて、ははん、FacebookのフレンドとかMixiのマイミクの話だなと誰もが思うSNS時代。だけど、「友達の数は何人?」にその話は全然出てこない。進化生物学と認知心理学と人類学の境界領域の話で、理系の話、サイエンスとして扱われる話題そのものなのだが、ヤバい経済学とかニコラス・ダレブとかマルコム・グラッドウェルの文系を源とする話に通じていて境界がはっきりと見えなくなってくる。ソフトサイエンスという括りはいかがでしょうか。
 
さて、人類学にはダンバー数という概念があって、1人の人間が友達と感じる人数はおおむね150人程度であるということ。提案したのが本書の著者ロビン・ダンバー氏。企業でも150人規模までは顔を覚えられヤワな組織でも回ってゆくが、これを超えると上下関係を持ち込まないと、アラが目立つようになり、集団として十分に機能しなくなるという。
 
本書は、このダンバーさんが書いたポピュラーサイエンス書であって、必ずしもこの数にまつわる話を集めているわけでもなんでもない。断片的な豆知識集として楽しめる内容だ。
 
ただ、学術研究から、成功するのは容姿端麗頭脳明晰な人です、なんて当たり前田のクラッカー過ぎて救いの全く無い身も蓋も無い結論が紹介されててそりゃ残酷。これもまたリアリティ。人間行動の多くの部分がハードウェア的都合で決まってしまっているらしい事実をつきつけられる。
 
学校教育では人間生まれたときは平等ですって教えるけど、生まれた段階でかなり差がついているという悲しい現実。徒競走で手を繋いで全員一斉にゴールというゆとり教育を象徴する映像は、平等なんて夢に過ぎないのはわかりきってるから、子供のうちは夢でも見させて上げましょう。なんて御高配をいただいたんですかいね、と。
 
進化が神を発見した、なんていう章もあって、苫米地英人さんの「なぜ、脳は神を創ったのか?」を思い出しましたね。こちらは平塚市図書缶に所蔵されてます。
 
神ありて光あれ、じゃなくて、脳が進化の過程で神と創った、そういう色々な方面からなんだかんだと言われ続けること確定の説。サイエンスのハットをかぶっているときは、ま、冷静に考えればそうなんでしょうな、と言っておいて、情操教育のハットをかぶっているときは、天網恢恢疎にして漏らさずとか、神とか超自然的な存在を前提に話をするのでしょう。二枚舌だダブルスタンダードだ夢が無い身も蓋も無い、ええ、全部当たってなくも無いけど、こういうの必要悪みたいな。
 
平易に書かれた本でもあり、大人も楽しめるし、学生さんとか中高生さんにもいいんじゃないでしょうか。サイエンスはハードサイエンスだけじゃない。深刻なサイエンス離れもちっとは改善するかも。

アイデンティティは母国語と地域愛で育まれる

福島原発の事故があったから今「ディアスポラ」が出版された、というわかりやすい理由。平塚市図書館に所蔵されます。

10年前の初出時には、この事故の可能性には「絶対安全ですから」と木で鼻をくくったような対応しかなされなかったであろう。にも係らずその破滅的な影響の蓋然性を看破し、その後の日本国民の生き様を国外国内それぞれ描いてみせる。この先見性をもってさすがは慧眼の勝谷誠彦と賞賛すべきか、はたまた、ならなぜもっと激しく反対活動をしなかったか、とタラレバ批判をしてみたものか。

一昨日のNHKクローズアップ現代「町をどう存続させるか~岐路に立つ原発避難者たち~」は、現在は避難されている浪江町の方々の現況。地域コミュニティを維持したいとの熱意を持ち、しかし高い放射線量から今帰るのは許されず、コミュニティごと代替地に移転するアイデアを提起するも十分支持を得られず、といった状況について紹介されていた。やはり、住み慣れた地域というのは離れがたいものなのだなあと、本書後半の国内編とでも呼べる「水のゆくえ」と重なり合って見えるのだ。

対するに海外編と呼べる前半の作「ディアスポラ」。ディアスポラは要するに離散してしまった国民の状況、要するにイスラエルの建国前のユダヤ民族のことを指す。かつて日本沈没という一世を風靡した作品でも、国土を追われて各地に日本国民は散らばり、続編ではメガフロートを東南アジアの海域に浮かべて日本民族が再結集するプランが示されたと記憶する。こういう話で必ずといっていいほど話題になるのが、日本民族のアイデンティティとは、何ぞや、という素朴な疑問。日本語です、というのが玉虫色の回答だと思う。

社内公用語を英語に、というグローバル化の時期にあってこそ、日本語を大事にしたいという気持ちが確かなものとなる。英語ペラペラの中国人ビジネスマンは母国語を捨てているわけではない。英語がペラペラだけではだめで、語る価値のあるコンテンツがあってはじめてコミュニケーションツールとしての英語が生きる。そのコンテンツの独自性を形づくる一つの要素が母国語だと思う。

10年以上前のことだが、とある国際的なコンサルティング会社のプレゼンに参加した際のこと。米国本社から派遣されてきた講演者がなかなか練られたトークに続いて質問を受け付けたとき、真っ先に手を上げて出てきたのがぺらぺらの流暢な英語で「お前の英語はフランスなまりでようわからん」というようなべらべらの浅薄な挑発。講演者は「nobody is perfect」とか何とか小声で言ったのだが、怒りもせずに冷静に回答していたのが印象的だった。世界市場は戦場だよねえと驚いたのだが、はからずも、英語ぺらぺらで価値は何も決まらず、人品卑しさも減ずることなく、価値はコンテンツに宿る、ということを痛感させられた。

ガラパゴスだろうと、コンテンツに価値があれば問題は無い。ガラパゴスによって守られるものもある。で、コンテンツの価値の一部は地域性に帰する。とすれば、望郷の念というのはさらにわかるし、生命を危機あろうと戻りたいという気持ちもさらによくわかる。方言が母国語と呼ぶ性質のものかはわからないが、コンテンツは地域性と方言を含む母国語によって、外敵から守られ、アイデンティティを醸成される。

日本に住めなくなるというシナリオで、現在、もっとも不安をあおるのは、事故ではなく、領土的野心を抱いた隣国の存在という方もおられよう。昨日は日本沿岸を軍用機で一周したという国もあった。日本国民にとっての近未来のディアスポラをテーマとする作品としては、そちらのアプローチが臨場感をもって迎えられるかもしれない。その危機が聊かでも現実のものとならぬよう祈るばかりであるが。

アドバイスも鮮度が命

東日本大震災後の復興のために、世界的コンサルティングファームのマッキンゼーが音頭を取り、世界の、各界著名人にアドバイスを求めて出来上がった本。「日本の未来について話そう」はそのように演出されているのだが、読んでみると必ずしもそうではない。

7月出版ということになっているが、編集は5月であり、東日本大震災に言及している論文の数は意外にも多くはない。要するに、本が完成しつつあった段階で大震災が起こり、さすがにそのまま出版するわけにもゆかないから、幾人かの寄稿者に再考を求め、震災後対応にした、というところだと考える。

貴重なご意見であることは間違いない。ただ、総じて、グローバルで行け、ガラパゴスは駄目だ、と言っておきながら、書いていただいているのがなんだかんだで親日派ばかり。ドライにこき下ろす論調もあっていいのだが、無い、というのは東日本大震災を受けてお手柔らかになっているのか。さらに、もしドラの(元AKB48運営に携わっていたとされる)岩崎夏海氏がドラッカーにからめて「生き方のリーダー」として日本の役割を提言されている。内容は、なるほど、である。だけど、ここに岩崎夏海さんというのは、この本が日本向けの本であることを明確に示している。これを海外同時発売というのだが、となると、知日派に日本の最新の話題を提供する本、という結構ガラパゴスなポジションになるのじゃないのかなあと考えるのだ。

それでも、貴重なアドバイス集であることに変わりはない。

だが、東日本大震災で、日本人のメンタリティは大きく変わった。さらに、アンディサマーズの言葉ではないが、復興のために資金が必要のため、日本は貧しくなったことは間違いない。今まで出来ると思われたことが、体力的に無理、ということにもなる。

要するに、3月11日を境に、作戦は全部練り直し、なのである。

そういう意味では、この本の企画はボツ、というのがナイーブな流れだと思うのだが、そこは商魂逞しい方々であり、さらに寄稿いただいた各位にも失礼となるから、前述のように、部分的にお化粧直しをして、新しいように演出して、駄目な日本の処方箋のはずだった企画を、激甚災害後の復興計画として再出発させた、この錬金術は流石である。いや、すごい。さらに、海外でも復興関連を提言する格調高いタイムリーな日本論として売れるのだから、二度おいしい。商売人魂すごすぎですな。

以上、なんだかんだと勝手な御託を並べましたが、諸兄におかれましては、ご一読を強くお奨め申し上げる次第です。

読んだと口にしにくい

ああ、その作品読んだよ、こう言った瞬間に誤解を招くことがある。

だから、図書館で本を借りた履歴は流出してもらうとちょっと困る個人情報のひとつだ。それがアダルト系というなら、例えば平塚市図書館の勇気に感銘しているのだが現在所蔵される「(これ)」のような著作であれば、まあ、みっともない、大人気ない、そういう非難の目を向けられるかもしれない。だが、これだけならまだいいだろう。
 
これがあるいは良識を問われたり趣味の悪さを疑われたりするものだと、かなり困る。あと、宗教信条思想主義主張の類。だから、読んでも黙っとくのがいい。人に訊かれたら、え、それ、何の本ですか? ってシラを切り通すのが大人の対応ですわな。
 
とはいえ、不用意に手にしてしまうケースもあるわけで、それを、ああ、それ、結構危ない本ですよ、って声をかけてさしあげるような余計なお世話も、へたれ書評がそれなりに人様の役に立つ稀有な機会となるのです。
 
というわけで、まず読んだとカミングアウトする最初の著作は、新堂冬樹「悪虐」。これはひどい。読んでて気分が悪くなった。卑怯、残酷、バイオレンス、猥褻。1/4ぐらいでめげてそこから4倍速で斜めに読んで結末だけ通常再生モード、ということに。新堂冬樹『黒』系のなかでもブラックさが際立ちます。
 
そして二冊目。このタイミングでなければ樋口毅宏最新作の風変りな作風も面白いと思っただけだろう。クールなジェノサイド系とでも表現できるかもしれない。虚構だ、という安心感があるから。が、今ニュークリアな話はリアルすぎて余計な誤解の大群を引き寄せて来るので、口にするのも憚られる。著者さんも出版社さんも無邪気なことです。前作「民宿雪国」も結構スプラッターなところはあったが、寒村の鄙びた雰囲気が醸し出す侘びて寂びて枯れたモノトーンの山水画のイメージが美しい。対して、本作は亜米利加のIQ集積地域から穀倉地帯へ、嫌米大陸横断の旅の末に、、、。
 
ひとえに、出版のタイミングが惜しまれる。
 
二冊目の作品は現在までのところ生憎と平塚市図書館には所蔵されないが、所蔵しましょうと稟議を通すのも蛮勇を要します。私なら、周辺市域の図書館の出方をうかがうでしょう。危ない橋はまず他の人に渡ってもらって安全確認してから、これ近隣諸国の格言でしたっけ。そして、所蔵しない、というのも立派な見識といえましょう。時節柄。くわばらくわばら。

伽藍を出てバザールで生きるのは大変です

東日本大震災からまもなく半年。

この大震災で日本人のメンタリティは大きく変わった。絆、家族や友人や社会との繋がりの価値に目覚めた。これまでは、他者に無関心なんだろうなと考えられてきた若年層が被災地ボランティアで活躍した。地に足の着いた婚活をする人も激増したという。そしてこの震災で特に役に立ったのがTwitter、ソーシャルネットワークサービスだったというのも何やら象徴的に感じる。

人々の記憶も今回リセットされたようなところがあって、震災前のことは忘れられ、震災後の記憶で上書きされているような印象。人々に記憶しておいてもらってなんぼ、という仕事をしているなら、今一度、「刺さる」ような活動が必要のはず。創作にかかわるアーティストや著作者もその範疇といえる。震災後に有名人の露出が際立っているのは、善意が第一はもとより、知名度と評判の再確立という面もあっただろう。

大震災にインスパイアされたという創作としては、例えば直後に出版された大前研一「日本復興計画」は印税を全額復興支援に寄付ということでも注目された。現在平塚市図書館にも所蔵される橘玲「大震災の後で人生について語るということ」もこのインスパイアものであって、タイトルからはちょっと哲学的な香りも期待するが、内容はいつもの橘玲節であると言っていいと思います。

日本の財政は破綻してるから、混乱に巻き込まれないように、金融資産は国際分散すること。人的資産も会社と一蓮托生じゃ駄目、伽藍を出てバザールで生きよ、と。ここらへんを詳しく説明した既刊で平塚市図書館に所蔵される代表的なものを以下に示します。

  1. 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 2010年
  2. 貧乏はお金持ち-「雇われない生き方」で格差社会を逆転する- 2009年
  3. 黄金の扉を開ける賢者の海外投資術-THE TRAVELING MILLIONAIRE- 2008年
  4. お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方-知的人生設計入門- 2002年

とはいえ、普通の人が会社(伽藍すなわち閉社会)を辞めてフリーランスのような生き方(バザールすなわち出入り自由な開放型コミュニティ)で生きるのはかなり難しい。大多数の人にこれを勧めるのは無責任だ。それに、大震災のような破滅的な事件が起こったとき、消費が長期にわたってガタガタにならないのは、地域的にもリスクヘッジされた大企業に雇用されている人々がそれなりに安定した消費をしてくれるからだともいえる。

大企業で飼い殺しになるなと勧めても、大企業は居心地がすこぶる良くてだったら飼い殺ししてくれて結構、そういう忠誠心が育まれてもそれはおかしなことではない。大多数の人にとって、それが一番幸福な選択であって、そういう方々に橘玲さんの「伽藍からバザールへ」は迷惑なお誘いにしか聞こえないはずだ。

著者さんはなんだかんだ言っても米国大好きもしくはお手本としてリスペクトしているようなところが滲み出ているように感じるのだが、日本化と揶揄され、衰退傾向著しい米国を、検討なく模範とする論調はもやは説得力をもたない。自分の運命は自分で切り開く意欲があり、リスクを覚悟できる人は、伽藍を出てバザールに生きるべきだ。これは間違いない。だけど、それは少数でいい。大多数の人は、伽藍を守れ、もっと住み心地のよい伽藍にせよ、これでいいのではないか。

ビジネス書を読むのはたった400万人です、ということだが、このトップクラスの400万人とて、この御時勢バザールで継続的に生き残って行くのは大変だろう。バザールで生きることができるのは、ビジネス書でいえばビジネス書を書く側に立てる層とその周辺に限るのではないか、などとネガティブなことを考えたくもなる昨今の日本をとりまく閉塞感である。

最後となりましたが、東日本大震災の被害にあわれた方に心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興をお祈り申し上げます。この祈りと絆を大切にする気持ちをずっと大切にします。

人情話がウケるのは人情喪失と裏表

シンデレラコンプレックスというのは単に白馬に乗った王子様が自分を迎えに来てくれるのを待つ心理のことだと思っていたのだが、今あらためて調べてみると、現在は少々複雑になっているようで、独立と依存の二面性をもつ時期があるという。

シンデレラストーリーも古典的でナイーブな構図のものより、キャリアと恋のアンビバレンツという図式の方が、ウケる、ということは当事者ならぬオサーンにも容易に想像はつく。

人気シリーズ「みをつくし料理帖」は最新作「心星ひとつ」でそうしたアンビバレンツなシンデレラストーリーに大きく舵を切った。なんて評論家のような上から目線で的を射てんだかどうだかわからんような感想をオイラが言ったところで面白くもなんともないのだが、そもそも女性をターゲットに女性が好むであろうスタイルで書かれた(だよね)作品を、そのターゲットから思いっきり外れたオサーンがオモロイなタカマルよ~っ読んでんだから、何やら想定外の歪んだ読み方がなされていると考えないほうが不思議でしょうな。

いや、少なくとも私の場合、料理物として楽しんでいるにすぎない。食べる物が人を形作り、健やかにもし、癒し、幸福にする。料理と食材の話をオマケとしてでなく正面からがっぷり取り組んでいるところが大好きなのである。

さて、複雑系シンデレラ譚としては、この澪つくしと、NHK土曜時代劇「咲くやこの花」の百人一首名人と父のあだ討ち本懐の浪人の恋バナとが、私の脳内で勝手にオーバーラップしている。武家として復権したものの家督を弟に譲り自由の身となって江戸に戻ってきた深堂由良の姿が、澪つくしのヒロイン澪の想い人小松原こと御膳奉行小野寺数馬に重なるのだ。身分違いの壁を乗り越えヒロインの夢をかなえる男としてである。

御膳奉行という職が実在したとは知らなかった、ですが。

そしてみをつくしの教訓。二択が向こうからやってきたら、とりあえずスルーして、他の選択肢を自分でこさえること。恋バナも、お武家と医者の対決と見せかけて、実は今行方不明のあの人に、という大団円を勝手に予想させていただきました。

ちなみに、高田郁「みをつくし料理帖」(角川春樹事務所時代小説文庫)最新刊まで6巻すべてが平塚市図書館に所蔵されます。

  1. 八朔の雪 (2009年)
  2. 花散らしの雨 (2009年)
  3. 想い雲 (2010年)
  4. 今朝の春 (2010年)
  5. 小夜しぐれ (2011年)
  6. 心星ひとつ (2011年)

待ってましたインサイドストーリー

平塚市図書館にもやっと「アキバの帝王」が入着した。

人気作家、新堂冬樹さん(以下敬称略)の最新作である以上に、今をときめく秋葉原、Akibaのアンダーグラウンド、オタクの文化を伝えてくれる、ちょっとしたドキュメンタリーのような読み方もできる作品である。

新堂さん自身も芸能事務所を経営しており、そのホームページで所属タレントを見たところ、女性アイドルを中心とする事務所のようだから、立派なインサイダーだ。本書を読む限り、アイドル事務所稼業は好きな人には堪らない魅力があるようだ。大人買い、という言葉が本来象徴するように、子供の時期に憧れ欲しがったものを、経済力がついた段階で量的にも質的にも我が物としたい、そういう衝動。

本作のモデルは国民的アイドルAKB48の経営チームと秋元康氏であることは言うまでも無い。秋元康氏の行動を見て「大きなお友達」とか「Top of TO(Top Ota)」(オタクのボス)であるかのように感じる人もなかにはいるらしいことがどこだか失念してしまったが何かの記事に書かれていたように記憶する。

ところで、理系の人達は言ってみればみなオタクである。例えば技術者を技術オタクと上から目線で揶揄する御仁は、技術者になりそこねた自称管理職やら、枯れてしまって技術者を卒業した人と思って間違いない。オタクというのは職業や技術に真摯な人の総称であって決して蔑称ではない。が、その方向が実生活と乖離して社会生活を破綻させるようになったり、治安に脅威を与えたりする状態になると、マニアックという言葉同様のややネガティブなニュアンスを帯びることになる。これは例えば、ハッカーという言葉に本来ダークな意味は含まれないのだが、クラッカーと呼ばれる反社会的な存在が知られると、コンピュータと通信に精通した人はみなその予備軍であるかのような誤解を生むことになった、その経緯に通ずるところがある。人的風評被害と言っていい。

さて、アイドルのオタクの話であった。件のAKB48のライブに行くと、MIXと呼ばれるディープでコアなファン独特の掛け声に一般層のお客さんやライトと呼ばれる普通のファンは度肝を抜かれるようだ。その生態と言ってはいささか失礼に過ぎるが、日頃どのような活動を行っているのか、本書でその一部を窺い知る事ができたのは嬉しかった。

AKB48のファン層は今や幼児からシニアまで広がり、他国には見られない独特の文化を形作ることになったのだから、これをモデルにした創作ももっと出てきていてしかる。にかかわらず、私の知る限り、ストライクゾーンど真ん中の小説というのは、本作が初めてではないか。その背後にあるとも噂もされるダークな一面を恐れて、ということもあるかもしれないが、インサイドストーリーは本書でもうお腹いっぱいとはなっていない。まだまだ飢餓感があると感じるのであるが、どうだろう。

言いたいことは5文字にまとめよ

日本語では四字熟語が好まれる。

小学校の国語の試験に「□肉■食」の□と■を埋めよ、なんて問題が出ることは平成教育委員会を見ていても窺い知る事ができる。焼肉定食と答えておきます、定番の寒いネタですが。このように、表記上のマジックナンバーは「4」だ。一方、発音する音でいえば、俳句や短歌は「5」と「7」であり、単純ではない。

漢字圏全体ではどうだろう。漢詩、こちらは自分に素養が全くないのでWikiの受け売りだが、漢詩では「4」も「5」も「7」も使われるようだが、数を固定するというアイデアは普遍的のようである。

認知心理学は西欧の学問と言うわけではないが、マジックナンバー7という考え方を提唱したのは間違いなく英語圏の人であった。なんでも7つ以下にまとめると据わりがいい。覚えてもらえる。議論の場では、言いたいことを5語で言え、なんて無茶ぶりで相手を瞬間黙らせる人も見たことがあるが、確かに7以下。

仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌、南総里美八犬伝の「8」。視覚的には8角形は安心感をもたらすが、覚えるにはちょっと多いと確かに実感する。

枕が長くなったが、今日読んだ2冊のビジネス書が偶然両方とも5文字でエッセンスを示していた。DELTAとSPICEだ。両方5文字。三角形も香辛料も内容には全然関係無い。単に語呂合わせ。5つのキーワードの頭文字を繋げてDELTAとSPICEである。だけど今後その本が話題に出るとき、やっぱりDELTAだSPICEだと語られるのであろう。こういう語呂合わせの良し悪しだけで本として記憶に残るかどうかが決まるわけではないが、記憶に残る効果を確信しているからこそ、著者さん達も使うのだ。

DELTAは、「分析力を駆使する企業 発展の五段階」でのData, Enterprise, Leadership, Target, Analysisの5語。大企業向けに分析力を育て定着させてゆく手順を示す。本としての構成もそこで説明される内容もPlan, Do, Seeのような完成された枠組みにきっちり合わせて構造化されているが、その枠で支えられるはずの内臓とか筋肉がいまいち見えてこない。企業に分析屋ばっかり増えて権限が与えられるというのは、MBAを出たばっかりの理屈っぽいヤな奴を経営陣が偏重するあまり、数字だけ一人歩きして既存事業は切り売りされ長期安定低落のものばかり残り、イノベーションの芽が全部摘まれるという、どこでも見られる景色が浮かんでくる。分析をする人達も必要であり、武器にもなるし、駆使するものいいが、これからはイノベーションですと言ってるそばから、今見えてる数字がすべてです、ってのもアクセルとブレーキを両方踏むようなもんですな、使い古された表現だけど。

この本、残念ながら今のところ平塚市図書館に所蔵されない。所蔵されるのも利用者にはありがたいが、あえて所蔵しないというのもひとつの見識といえる。この本の前作にあたる「分析力を武器とする企業」が現在のところ平塚市中央図書館に所蔵されている。

さて、もう1冊、SPICEのほう、「瞬間説得」は、あまり構造化された構成ではないが、それは砕けた内容には相応しいと感じる。目次を見てもどこをどう読んでいいのか見当もつかずに斜め読みを目論む読者は私も含め困ってしまうが、結論からいえば全部読むことをおすすめするし、拾い読みしても十分に得るところがあるのは、個々のエピソードが秀逸だからだろう。日本でこれをやったら、トラブルが一発で収まるどころか、瞬間炎上になるだろうな、というのもあった。地域性や文化の違いは誰かがどこかでフィルターをかけなければ使える内容にはならないという指摘をするよりは、そういうフィルタは読者が自分で考えるということを前提とすれば、普遍的に使えるメタなアイデアなのではないかと感じた。

私に利益となったのは、人々は成長指向と固定指向(だったよな)に大別され、行動パターンが全く異なるというくだり。最近の自分に思い当たるところあり、考え方と行動を即刻改めることを強く決意いたしました。そして感銘を受けたところ、人種のバイアスを学生に思い出させただけでテストの平均点が変わる実験結果。そしてオバマ当選により、アフリカ系の平均点が大きく改善したこと。人種に限らず社会には色々なバイアスがあるが、その存在と影響をよく知った上で、自分のパフォーマンスをアップする、少なくとも悪化圧力を受けないように防衛をしてゆくことが必要なのだと、強く瞬間説得されてしまいました。

単純性(Simplicity),私的利益感(Perceived self-interest),意外性(Incongruity),自信(Conidence),共感(Empathy)でSPICEというが、SCだけ決まってて、5文字だとSPICEかな、説得にはスパイスが必要なんだよ、って感じでSympathyのかわりにEmpathyにして、Iを選び、Pを無理やりこれにした、ってのはあまりにうがった見方だろうか???

この四文字熟語と、英語5文字の組み合わせ、しばらく試してみたい。オマージュですので。パクりじゃなくて。